ヨッシー向上日記

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カントの道徳的善について学習した。笑顔になってほしいからボランティアに行くは道徳的善じゃない!? 外国人にいきなり話しかけられて英語学習をしようと思ったし、友人に対しても嫌な思いをした日だった。

2023年11月2日の日記

 

昨日は、2限に倫理学があって、その後はフリーだった。

 

2限の倫理学では、カントについて学習した。

 

カントの考え方は結構面白いと思った。

 

カントの考え方はちょっとでも私利私欲の感情がある場合、

 

ボランティアでも慈善活動でも、それは道徳的な善ではないらしい。

 

驚いたことに、例えば、被災地に復興支援のボランティアに行くとしよう。

 

「被災者が笑顔になってほしい」と思って支援に行くとする。

 

この場合も道徳的に善ではないらしい。

 

いっけん「は?」ってなるが、なぜかというと、

 

「被災者に笑顔になってほしい」というのは、賞賛を受けるためであって、

 

もしも、被災者に「お前なんか来なくていい。帰れ!」と言われたら、

 

その人は、「来てやったのに!」となる。

 

結局は賞賛されるために支援に行くのであって、これは道徳的に善ではないらしい。

 

俺的には、偽善だろうが、ボランティアに行って支援すること自体に意味があると思う

 

から、道徳だとかなんだとか、勝手に言ってろと思うが。

 

じゃあ、道徳的な善とは何なのか?

 

それは、賞賛のためではなく、行かないといけないという義務感を持っていくことらしい。

 

例えば、企業が行う環境保全活動もそうだ。

 

自分たちは、地球というところに住まわせてもらっているのだから、

 

その賃料を払う義務があると思って、環境保全活動に資金を使うことは、

 

道徳的に善であると言うらしい。

 

おもしろいよね。

 

自分もボランティアについて、なぜお金や報酬というインセンティブがないのに

 

行くのか疑問に思っていたが、カントの話を聞いてちょっとすっきりした。

 

カントの話からすると、ボランティアが趣味な人たちは、

 

かなり多くの人は、少なからず私利私欲が入っていると思う。

 

けど、大事なのは、ボランティアに行って支援する「行動」であって、

 

そこに倫理がどうとか道徳がどうとかは関係ないと思う。

 

一番俺が軽蔑するのは、支援に行きもしないのに、

 

ボランティアに参加している人に対して「偽善だ!」とか言っている人たちだ。

 

まさに「やらない善よりやる偽善」精神だろ。

 

 

話は変わって昨日はとても嫌な出来事があった。

 

何だそんなことかと客観的に観れば思うことかもしれないが、

 

自分的には、すごく嫌なことだった。

 

大学から出たところで友人と喋っていたら、

 

いきなり外国人おじさんが英語でしゃべりかけてきた。

 

声もデカいし、いきなりよくわからん人から話しかけられたから

 

英語で応対ができなくて、友人が英語ちょっと喋れるから

 

その人に喋ったら友人とその人でずっと会話し始めて入れなかった。

 

正直帰ろうかなと思ったけど、ずっと話を聞いていた。

 

その人が喋る英語は大体聞き取れるレベルだったから

 

友人とその人の会話を聞いていたけど、日本人は1つの言語しか喋れないと主張していた。

 

もうその人は俺とは会話する気もなく、友人も英語できるだろアピールか知らないけど

 

その人と1対1で会話し始めて凄く嫌な思いをした。

 

最初に受け答えができなかったせいで、こいつ英語喋れないんだなと認識されたのか

 

もう俺に見向きもせずに友人と喋る外国人を見て正直苛立った。

 

しかも胸糞悪いことに、言っていることを俺が聞き取れてしまっていることだ。

 

会話が終わった後に、友人も、俺がいたことを忘れていたような態度をとったし、

 

昨日のこの件は凄くショックだった。

 

このショックでした悔しい思いを糧に、英語で会話をすることができるように

 

学習しようと思った。

 

英検だとかTOEICで高得点を取るためではなく、

 

英語を喋れるように勉強しようと思う。

 

本当に嫌な思いをした。とっとと帰ればよかった。

 

愚痴をこぼして済まない。